水滸伝絵巻-GRAPHIES-

水滸外伝
無門関

東昌府の北東、竜舞虎踞山には五竜六虎が住む。
 煩雑ではあるが、その名を連ねればこうだ。
 まず、山の主が五宮龍王。その下に、墜天竜、竜三郎、土竜公子、涕面竜、三脚虎、白虎星、禿尾大虫、金釵虎、花項虎、打箭虎。
 主を除けば、五竜六虎のあいだに順位はない。
 五宮龍王は万巻の書に通じるという秀才で、その流るるがごとき舌峰の鋭さは天下無双、手下たちの崇敬を集めていた。彼の主に語るところは、乱、そして革命にあった。
 革命とは、すなわ易姓革命。“姓を易え、命を革める”ということだ。天命を失った皇帝を廃し、新たな王朝をたてることを言う。皇帝の権力というものは、世界を治めるべく天から与えられたものだ。ゆえに、その義務をはたせなくなれば、その皇帝は天命を失い、新たに天に選ばれた者に代わらなければならない。
 五宮龍王は言う。
 汚職、賄賂、戦、重税、花石網──人民は塗炭の苦しみを嘗めている。しかし、どうだ、天子をはじめ官僚、地主、金持ちたちは、贅沢ほうだい、法さえ枉げて、この世の楽しみを味わいつくしているではないか。
「腐敗した世を覆し、天命により万民の理想とする天下をつくる」
 それこそが、竜舞虎踞山・五竜六虎の志とするところであった。
「しかし」
 五宮龍王は、灰色の髯を捻った。眉間には皺が深い。その深さが、そのまま彼の苦悩の深さと、彼らをめぐる状況の困難さを現しているように思われた。
「軍料が足りぬ。まったく足りぬ。銭がなければ、兵も馬も喰わせられず、武器も揃わず、いかに天命を受けようと世直しの戦はできぬ」
 十一人は焚き火を囲み、うむと重く頷いた。
 実際、いかに高邁な理想を掲げようとも、彼らの城砦は竜舞虎踞山の頂にある古い道観の跡にすぎない。六百人ちかくいる部下たちも、元をただせば流民か無頼か、素性も知れない者ばかりだ。革命への道は遠かった。
 無毛大虫がてらてらと光る頭を撫でて、言った。
「ならば、また一仕事をせねばなるまい」
 うむと一同が頷いた。
「どの村から徴発する」
「まだ夏だ。収穫はまだだ」
「すると……」
「“肉票”か」
 男たちの顔が、焚き火のためだけでなく熱を帯びていた。
「誰にしよう」
「近くの村の金持ちからは、あらかた供出させつくした」
「東昌府なら、まだ金持ちがいくらでもおろう」
「待て、あそこには近づいてはならん」
 五宮龍王がいましめた。
「噂はお前たちも聞いておろう」
 一同は神妙な顔で頷いた。
 東昌府に赴任してきた新しい将軍は、ものすごい男だという噂だった。頭がよく、冷酷で、めっぽう腕が立つらしい。百本の槍を使い、弓は百発百中、力は二十人力という。その男が、竜舞虎踞山の五竜六虎を討伐すると息巻いており、そのために精鋭軍を組織して、厳しい訓練を施しているということだった。
 実際、先月、東昌府の郊外で墓参りに出た富豪の奥方を“肉票”にしようとした時、偶然、とおりかかったその男に、こてんぱんにやられてしまった。将軍は数人の部下を連れていただけだったのに、竜三郎と土竜公子、三脚虎の三人は、今も起き上がれないほどだ。連れていた手下も多くが倒され、あるいは捕らえられ、戻ってきたのは三分の一にも満たなかった。
 その時のことを思い出すと、今も震えがくる──と、三脚虎は言う。
 黄昏時ではあったが、その将軍の雲をつくような背丈、鍋底のような顔、ぎらぎらと光るふたつの目は、はっきりと見えたと言う。
「おっそろしい、鬼のような奴だ。まるで手が何十本もあるかのように、またたくまに手下はやられてしまった」
 将軍は刀も使わず槍も使わず、竿のように長い腕を振り回し、手下たちをばたばたと倒してしまったそうだ。彼も同じく殴り倒されたのだが、すさまじい力だったという。
 それ以来、彼らは東昌府には近づいていない。
「しかたあるまい。街道で金持ちが通りがかるのを待て」
 五宮龍王はそう命じた。男たちはおうと応じた。ただ二人、答えない男があった。
「どうした、花項虎、打箭虎」
「また、文句か」
 仲間たちの注視を浴びても、二人はむっつりと焚き火を睨んでいた。
 竜舞虎踞山の五竜六虎は、主の五宮龍王をはじめ、みな文字を識る。墜天竜などは科挙を受験したこともあるし、土竜公子は名の通り元はそれなりの家の御曹司だ。白虎星は詩を書くし、禿尾大虫は代書屋だった。五宮龍王の理想に応じるだけあって、みなそれなりの学問の素養がある。
 しかし、この二人だけは違った。花項虎は顔から肩、体じゅうに入れ墨のある異族の男で、投げ槍を得意にしている。打箭虎は顔じゅうに無数の傷を持つ巨きな男で、常に飛叉を傍らに置いていた。二人ともひどく寡黙な男で、また字も知らず、この山ではだいぶ下に見られていた。
 墜天竜があざ笑った。
「お前たちには、革命の厳しさは分からんのだ。理想だけでは、世の中は変わるものではない。嫌なら来るな。どのみち、たいした仕事ではない。留守番でもしているがいい」
 そう言われると、花項虎、打箭虎も黙っているわけにはいかなかった。立ち上がり、武器をとった。
 墜天竜と涕面竜が先に立ち、二人も二十人ばかりの手下とともに山塞を後にした。
 初夏の日差しが眩いほどで、街道にはかげろうが立っていた。
 男たちは山を下りると、街道を見下ろす岡の上に陣取った。岡の上にはちょっとした木立があって、身を隠すのにはちょうどいい。ここで、彼らの軍資金提供者が現れるのを待つのである。“肉票”──すなわち、誘拐して身代金を取る人質のことだ。
 任地へ赴く官僚、任期を終えて都へ帰る官僚が狙い目だ。前者は家財や餞別を持っているし、後者ならばそのほかに土産と、任地でため込んだ財産をたっぷりと携えている。ほかには商人、名門の子弟、金持ちの女房や妾も獲物になる。
 革命のためだから、彼らは喜んで金や食料を提供してくれる。
「おい、あれはどうだ」
 遠目のきく涕面竜が指さした。ぎょろぎょろとした目が魚に似ている。涕面竜とは言うが、この男が泣いたのを見たものはない。
 涕面竜の指さす先には、数人の男女の姿があった。強い日差しに着物の錦がきらりと光った。初老の男を中心に、護衛が二人と、小僧が一人、小間使いが二人ついている。地主の隠居が城内に遊びに行くといったところか。
「よし、あれだ」
 意見はすぐに一致した。さいわい、街道にはほかに人影もない。男たちは武器を振りかざし、怒濤のごとくに岡の斜面を駆け降りた。対する護衛のものたちも、不審者にすぐに気づいた。すばやく老人を間に護り、一人は槍を、一人は剣を抜いて構えた。どちらも筋肉のみで出来上がったような体格の、歴戦の男と見えた。墜天竜が、花項虎と打箭虎を見た。行け、と目顔で命じていた。お前たちは、こんな時にしか役にたたない。そういう目だった。二人は黙って武器を握った。護衛の刃が二人に向かった。
 その時だった。
「待て」
 隠居が口をひらいた。
「わざわざ怪我をすることはない」
 ひどく落ちついた、どこか明るささえ帯びた口調で言いながら、隠居は男たちの顔を見回した。後ろ手に腕を組み、動じるふうもない。ゆっくりと、一人一人を値踏みするような目つきで眺めた。
「竜舞虎踞山の五竜六虎か。目的は、銭だな」
「こいつは驚いた」
 涕面竜が腰をかがめた。
「誰かと思えば、銭の旦那でしたとは」
 おみそれしました、と涕面竜は陰険な顔で笑った。
 隠居は、“銭員外”と呼ばれる、この辺りでは名の知れた富豪だった。城外には広大な山林や農地、城内には質屋や宿屋を何軒も持っている。思いがけない大物だった。
 しかし、銭員外は怯えるどころか、小作人にでも対するような恰好で、堂々として立ったいる。
「おとなしく来てもらおう」
 墜天竜が厳めしい顔で言っても、人ごとのような顔をして、真っ白な髯をひねっていた。
「金さえ貰えば、命は保証する」
「ふん」
 銭員外は武器を掲げたままの護衛たちに向かって言った。
「ちと山まで散歩に行く。わしのことは心配いらんが、婿殿には、少し心配させるように言っておけ」
「こいつは聞き分けのいい客だ」
 涕面竜が銭員外の体に腕を伸ばした。その隙をつき護衛が打ちかかろうとした。
「あほう!!」
 護衛を怒鳴りつけたのは銭員外だった。
「なにをする。お前らが怪我をすれば、わしが治療費を払うんだぞ。死ねば葬式を出さねばならんし、家族にそれなりの銭もやらねばならん。そのうえ、そんなことになれば護衛のなり手が減って、雇い賃が跳ね上がる。そんな計算もできんのか」
 銭員外は怒鳴りおわると、呆気にとられる護衛たちを残し、さっさと先頭に立って歩きはじめた。



「わしらが苦労して捕まえたのだ。あとの交渉くらいはお前たちがやるがいい」
 墜天竜に言われ、花項虎と打箭虎の二人は顔を見合わせた。しかし、やはり言い返すこともできず、二人は五宮龍王の手紙を持って山を下った。
 二人の顔は暗かった。
 彼らは、こんな“仕事”は不本意だった。身代金を要求する手紙を銭員外の屋敷に届ける仕事──ではない。人を攫い、身代金を奪うようなやりかただ。二人には学問もないし、うまく言葉を操るような才覚もない。だから、なぜそう思うのか、その原因を明確な言葉にすることはできない。
 しかし、心が重いのは確かなことだった。
「これが、革命か」
 花項虎がぼそりと言った。
 打箭虎も考えていることは同じだった。
 彼らは、官僚も役人も地主も金持ちもみんな嫌いだ。官僚や富豪なら、金を奪おうと屋敷を焼こうと、殺そうと構わない。しかし、この頃では少し金のある商家の隠居や、小役人の妻、娘などまで攫うようになっていた。彼らは家じゅうの金をかき集め、親戚じゅうから借金をして身代金を払い、破産する。この前にさらった娘は、身代金がなかなか届かなかった。仲間たちは怒り、娘の体で支払わせるといきり立った。二人はそんな仲間たちと争った。
 娘は若く、かぼそく、怯えていた。泣きながら、助けてくれと懇願した。
 その時は、刀を抜きかけたところに身代金が届き、娘は無事に帰された。しかし、その後、娘は婚約を破棄され、河に身投げして死んだと聞いた。
 それを聞いた時から、ずっと心が重いのだ。
 ただ、それを具体的に説明することができないので、彼らは、やはり手紙を届けるしかなかった。
 銭員外の屋敷は、うわさにたがわぬ豪邸だった。
 来意を告げると、主人である婿が転がるように走り出てきた。慌てる家人たち、恐れて逃げる子供、女の泣き声も彼らを迎えた。婿は震える手で手紙を受け取り、涙声で、二人に酒を勧めた。
「大王様、親分様、どうぞ一杯。酒をどうぞ。召し上がってください。酒も、肉もございますから……粗末もなのですが、どうぞ。どうか、義父にお情けを、御慈悲をかけてくださいまし……」
 二人は、酒も飲まず、肉も喰わず、黙って屋敷を後にした。
「いやな気分だ」
「ああ、いやだ」
「なぜだ。奴らは、金を持っている」
 打箭虎の問いに、花項虎は暫く考えているようだった。
「思いだす」
 花項虎の言葉に、打箭虎は黙って足元に視線を落としている。花項虎がまた、呟いた。
「思い出すからな……」



 二人は、家人から預かってきた着物などの荷物を、銭員外の閉じ込められている部屋に持って行った。山に膨大な軍資金をもたらしてくれる大切な客人だから、人質の扱いは悪くない。小奇麗な部屋には寝台も卓もあり、食事も竜虎と同じものが供されていた。しかし、員外は不満なようだった。
「酒はどうした」
 銭員外は酒を持ってこさせると、二人を部屋に呼び入れて茶碗を持たせた。
「一人で飲んでもつまらん」
 酒盛りがはじまった。銭員外は喉を鳴らして、じつに旨そうに酒を飲んだ。二人が無口なのも気にもせず、ひとりであれこれ愉快にしゃべった。
「いいか、人間には二種類がある。人につく人間と、銭につく人間だ。どちらを信じるかということだ。わしは、銭につく人間よ。銭のためならなんでもするし、銭でかたのつくことなら、銭を払う」
 そう言って、また豪快に酒を飲んだ。花項虎と打箭虎も、相変わらず無口ではあったが、なんとなく楽しい気分になった。この山では、こんなふうに愉快に酒を飲むことはない。しかし、宴もたけなわとなったころ、ふいに金釵虎と白虎星がやってきて、銭員外の手から酒をひったくり、その襟首をつかみあげた。
「なにをする」
「おまえの家は反動だ、反革命だ、朝廷に与する起義に対する裏切り者だ!!」
 二人はそんなことを喚きながら銭員外を引きずりだすと、砦のはずれの古い馬小屋に放り込み、鍵をかけて閉じ込めた。牢として使っている汚い小屋で、中には腐った藁が積み上げられ、屎尿の臭いが満ちていた。
「なぜ、わしをこんなところに閉じ込める」
 銭員外は格子を掴んで非難した。
「大切な人質だぞ」
「お前の婿は身代金を値切ってきた」
「なんだと」
「半分しか払えないと抜かしおる」
「いったい、いくら要求したのだ」
 白虎星が指を折って見せた。
「それだけか?」
「そうだ」
「あの馬鹿者が!!」
 今度は銭員外が毒づく番だった。
「それしきの銭がなんだ。わしは常々、教えているのだ、銭は減るのを惜しむな、増えぬのを惜しめ。惜しまずに使い、その倍を稼げばよいのだと」
 銭員外はどかりと床に胡座をかくと、腕組みをして、牢の外の男たちを睨み上げた。
「いいか、値切りには応じるな。わしの身代金がそんなに安くては二度と世間を歩けんわい」



 花項虎と打箭虎は、銭員外を牢に残し、白虎星らとともにその場を離れた。五宮龍王が竜虎に招集をかけていた。山塞には、まだ銭員外に使者が留められている。五竜六虎みなで囲んで、身代金の交渉をしようというわけだ。
 身代金の交渉が順調にいかなかったのは、銭員外がはじめてではない。一文も取れなかったこともある。理由は、その家が思ったほど金持ちではなかった場合もあるし、単純に主人が惜しんだ場合もある。その場合の人質の処理も、いろいろだ。男児ならば、砦において下働きをさせる。女児や女ならば人買いに売る。いちばん困るのは成年の男と老人で、これは、五宮龍王のいうところの“革命に従わない愚昧な民衆”の見せしめにするしかなかった。銭員外も、身代金が来なければそうなるだろう。
 打箭虎が、低く唸った。
「思い出す」
 花項虎が頷いた。
「いやだな」
「いやだ」
 二人は暗い道をとぼとぼと砦に向かった。



 銭員外の婿の代理だという使者は、おとなしそうな若者だった。普通は、このような使者は地元の顔役か、被害者の一族友人の中から豪胆で弁の立つ者を選んであてる。ところが、銭員外の使者は、今までのどんな交渉人とも型の違う男だった。男──というのすら違和感がある。華奢な体つきはすらりとして、顔色はあくまで白い。目元はずばぬけて涼しく、表情物腰はまるで深窓の令嬢のように穏やかだ。が、決して女々しい感じはしない。殺気だつ竜虎のあいだにいても、使者はおっとりとした微笑を絶やさなかった。
 かえって五宮龍王のほうが苛立っていた。
「身代金は一文たりとも譲れぬ。起義のためである。耳を揃えて提供してもらう。さすれば、今後、我々の協力者として丁重に扱おう。我等の大望が成った時には、高官として優遇もしてやるぞ」
「ありがとうございます、そう伝えましょう」
 青年は玲瓏とした声で言った。
「ところで、もう夜も更けております。もしも、ご迷惑でないようならば、道の見分けがつくまで、こちらで待たせていただきたいのですが」
「うむ。では、夜明けまでいるがいい」
「大王の御高配、感謝いたします」
 使者は五宮龍王に一礼すると、連れてきた驢馬に酒壺が積んであるので、それを皆に贈りたいと申し出た。都から買い求めた特上の白酒だという。すぐに酒壺が運び込まれた。彼らはいつも濁った安酒を飲んでいる。透明な酒は天子が飲むような貴重品で、普通の者に飲めるようなものではない。封を切れば、たちまち芳醇な香りが漂う。竜虎たちは舌なめずりした。
「気のきいた小僧だ」
「待て」
 さっそく味見しようとする部下たちを、五宮龍王が止めた。
「痺れ薬などを混ぜこんでおるやも知れぬ」
「お疑いはごもっともです」
 使者は微笑んで欠けた茶碗を取り上げると、壺から一杯すくって飲んだ。次の壺、次の壺……と飲んでいって、十あまりもある壺すべてから一杯ずつを飲み干した。すべての毒味が終わっても、若者はけろりとしていた。
「なんて強い男だ」
 男たちは感嘆した。毒のことなど忘れていた。それよりも、これは酒ではなく水ではないかという疑いすら抱いた。しかし、白酒は濁り酒などとは比べようもないほど強かった。一杯で目を回したものもいた。次々に潰れてしまい、九つの壺が空く頃には花項虎と打箭虎の二人だけが残った。
「なにか、寂しくなってしまいましたね」
 使者は残った酒を持って、二人に銭員外の牢へと案内させた。銭員外は、使者の顔を見ても、ほんの少し「おや」という表情を見せただけだった。四人は格子をはさんで酒を飲んだ。
 花項虎と打箭虎はすでに酔っていた。しかし、胸のつかえが二人に酔いを発しさせない。使者は壺を傾けて、二人に酒を勧めた。二人の酔いは重苦しく、身のうちを噛むようだった。二人はいっそう無口になり、昏い目で焚き火を睨み付けていた。使者はさらに酒を勧めた。
「なにか、気掛かりなことがあるようですね」
 使者の言葉は子守歌のように穏やかだった。
「立派な理想を掲げて戦っていらっしゃる将軍方が……なにを憂いることがあるのです」
「将軍?」
 打箭虎の目が鋭く光った。ぞっとするような光だった。
「五宮龍王は自分を大将軍、みなさんを将軍と、近隣の者に呼ばせているではないですか」
「嘘だ」
 打箭虎は吐き捨てた。
「将軍は……死んだ。殺された」
 打箭虎は酒を置いた。
 彼は、かつて官軍の小隊長だった。しかし、上司である将軍が朝廷に反乱の疑いをもたれたために、無理な作戦を命じられ、部隊は砂漠に全滅した。
 将軍の戦いぶりは壮絶だった。
 兵たちも死に物狂いで戦ったが、結果は、なぶり殺しだった。
 どうにか生き残った者たちは、本隊に命からがら逃げ帰ったが、反乱の共謀者として捕らえられ、牢獄に閉じ込められた。
 殺すつもりなのは明らかだった。
 食べ物も水もなく、虫と鼠と汚物にまみれて、獣のように格子の間から棒で突かれた。
 打箭虎は死んだ仲間の墓穴を掘らされた時、すきをついて見張りを殺し、逃げ出した。ともに逃げたものもいたが、追手に殺されたか、連れ戻されて殺されたか、今も行方は分からない。
 ぽつぽつと言葉を拾うようにして、打箭虎は長い時間をかけてそれだけ語った。
「将軍が反乱をしようとしていたのか、いないのか、そんなことは、俺には分からん。関係もない。ただ、分かったことは、俺たちなどは、殺してもいいのだ。だったら、いっそ、反乱したほうがよい」
 そして、あの将軍は、いい人だった。立派な人だった、と呟いた。
 花項虎の目から涙がこぼれた。俺は──と、花項虎は堰を切ったように話しはじめた。
「みじめな暮らしだった。父親は畑で血を吐いて死に、母親も姉も売られた。それでも借金が返せずに、親父は畑で血を吐いて死んだ。俺は地主の奴隷にされ、逃げ出した。山に逃げて、異族の村で救われた。彼らは蛮族で蔑まれていた。しかし、漢人は、誰も俺を助けなかった。彼らだけが助けてくれた。数年して、反乱の疑いをかけられて、村は焼かれた。みな死んだ。うつくしい伊美花も死んだ。俺は逃げて、賊になった。それから、売られた姉の行方を知って訪ねた。前の年に首を吊って死んでいた。母親のゆくえは分からない。俺は、反乱をしようと誓った」
 打箭虎が唸った。汚い牢に閉じ込められた銭員外の姿を見た。
「これが、反乱なのか?」
 銭員外が笑った。
「反乱。革命。起義。難しい話だて。それは、“してしまうもの”で、“しようとするもの”ではない。歴史の本を読めば、少しはその正体が分かるかもしれんが」
「正体?」
「反乱にも二種類がある、これもやはり銭と人だ。しかも、変わる。人のための反乱も銭のためになり、銭のための反乱が、人のためになることもある。銭の表と裏ははっきりしておる。しかし、反乱はそうではない。表が裏に、裏が表に……両方とも裏のこともある」
 分かるか?と銭員外は聞いた。二人はぼんやりとした頭で首を振った。
「お前たちには、難しすぎか」
「どうすればいい」
「知らんよ」
「俺たちも、分からん」
 ただ、漠然と分かっていることもあった。
 今、彼らがしていることは、違う。いつの間にか違ってしまった。
 これは、彼らがしたかったことではない。
 しかし、どうすればいいのか、彼らには分からなかった。
 銭員外は、悠々と酒を飲んでいる。
 外に自由にいるのが銭員外で、自分たちのほうが牢の中にいるようだと、花項虎は思った。その気持ちを察したかのように、員外は片目だけを動かして二人を見やった。
「さしずめ、無門関だな」
 無門関。
 お前たちは門のない関所の前に立っているのだ──と、銭員外は笑った。
 使者は目を閉じ、静かに眠っているようだった。



 翌日、使者は山を下りていった。
 あとには二日酔いでふらふらになった男たちが残された。
 身代金の期日は、日没だった。しかし、ついに金は来なかった。
 太陽の最後の光が稜線の彼方に消えた時、牢から銭員外が引き出された。五宮龍王は指をつきつけてさんざん罵り、最後に命じた。
「殺して、村の木に吊るせ。反革命の見せしめだ」
 その言葉に弾かれるように、花項虎と打箭虎が前に出た。
「俺たちは、いやだ」
 二人の言葉に、五宮龍王は顔色を変えた。
「裏切るのか」
「俺たちは、いやなんだ」
「裏切りだ!!」
 三脚虎が喚いた。
「こいつらは、前から俺たちの“仕事”に文句をつけていたんだ。もしや、官の手先ではないか」
「違う、追剥だの、強盗だの、そんな山賊のような仕事がいやなのだ」
 五宮龍王は鼻で嗤った。二人の青さをあざ笑った。
「では、どうするのだ? 金もなく、どうやって兵を養う? どうやって官軍と戦う? どうやって朝廷を倒す? どうやって、世の中を変えるのだ?」
「それは」
「かつて清らかなことだけをして、革命をした者がいるか? お前たちにはできるのか? 方法があるならば、言ってみよ」
「しかし──だめだ」
「裏切り者だ!!」
 一斉に刀が抜かれた。
「殺せ!!」
 襲いかかる三脚虎の胸を、花項虎の飛槍が貫いた。二人は群がる手下たちを蹴散らして、銭員外を連れ山塞から逃げ出した。
 月のない夜だった。真っ暗な山道を、勘にまかせて飛ぶように降っていった。よく知っているはずの道だった。しかし、木も岩も彼らを導いてくれなかった。やがて三人は道をたがえた。ぐるぐると同じところを巡っていた。追手はすぐ後ろに迫っていた。前にも後ろにも道はない。
 無門関だ。
 そう思った。
 いちど違った道に入れば、抜け出すことはできないのだ。永遠に、違う道を進まなければならないのだ。きっと、いつか滅びる日まで。
 それでも、二人は闇の中を走りつづけた。
 やがて、彼方に光が見えた。同時に足が平らな地面を踏んだ。山を下りた──そう思ったのは、早計だった。そこは山腹に開けた草原で、おびただしい松明の光に浮かび上がっていたのは、官軍だった。揃いの甲冑、人を威圧する旌旗の列。打箭虎の骨の髄までしみ込んだ、官に対する憎しみが燃え上がった。打箭虎は飛叉を掲げて飛び出した。
「打箭虎!!」
 花項虎が叫んだ。次の瞬間、打箭虎はなにかに額を割られてのけ反った。彼の耳に聞こえたものは、一陣の風の音だけだった。空を切る風の音──その正体を確かめるいとまもなく、打箭虎の額から血が吹き出した。衝撃に、打箭虎は仰向けにひっくりかえった。
 花項虎は見た。その手の飛槍は、凍りついたように動かなかった。
 官軍の先頭に颯爽と立つ、若い将軍。夜風に翻る山賊討伐の旗を背景に、二人を見て爽やかな笑顔を見せた。
 それは、あの“使者”だった。
 若将軍は白馬を駆り、三人を追ってきた山賊たちの中に飛び込んだ。部下たちが後に続く。戦になった。しかし、どれほどの人馬が入り乱れようと、花項虎と打箭虎の目には、若将軍の姿がくっきりと浮かび上がって見えた。
 その白馬には翼が生えているようだった。
 若将軍の凛々しい姿は、光り輝くようだった。
 その前には、なんと竜虎のみすぼらしく見えることか。
 将軍は帯に結んだ袋から、輝く小石を掴みだしては敵に向かって投げつける。投げられた礫は空を切り、あたかも天の意志を帯びているかのように、次々と山賊どもを倒していった。
 ああ──と、二人は思った。
 まるで、神のようではないか。
 あんな人とともに、あんな人のために、命をかけて戦えたら、どんなに誇らしく、すばらしいだろう。
 理想、言葉、使命、記憶、それよりも強いものが、はっきりと告げていた。
 この人とともに、この人のために戦えれば、それは、きっと正しいことだ。
 二人は、武器を捨てた。



 竜舞虎踞山を包む夜空は戦の喧騒に包まれていた。
 やがて若将軍は逃げまどう山賊たちを蹴散らして、兵とともに山塞へと駆け登っていった。
「見たか」
 銭員外も、ほれぼれと若武者の姿をみつめていた。
「あれが、“没羽箭”張清、と呼ばれるお方だ」
「あれが」
 二人には信じられなかった。
 東昌府の将軍は、十本の腕を振り回す怪物のような男──ではなかったのだ。
 夜が明ける頃、山は静寂を取り戻した。まもなく、若将軍が隊伍を整え草原に戻ってきた。その鞍には、血の染みた包みが結ばれていた。五宮龍王の首に違いなかった。
「ご無事ですね」
 将軍は馬を下り、銭員外に声をかけた。その声は穏やかで、涼やかな目は戦の後とは思えなかった。
「この二方は」
 と、将軍は花項虎と打箭虎に目をやった。はじめて見るという顔だった。
「この二人、賊の仲間でしょうか?」
「さぁて、山では見なかったようですな」
 銭員外はそしらぬ顔をし、髯をねじった。
「通りすがりに、この爺を助けてくれたもの──と思っておりましたが」
「そうでしたか」
 将軍は、戸惑う二人の顔を見て微笑んだ。人を魅了させずにはおかない笑みだった。銭員外は、寝起きの人のように伸びをした。
「さて、わしは散歩の続きだ。じゃあな、二虎よ」
「銭の旦那」
「そうそう」
 銭員外は足を止めて振り向いた。
「わしの本当の姓は“門”だ。銭員外はあだなだ、覚えておけ」
「門」
 ふたりは、顔を見合わせた。打箭虎は血の滲む額を撫ぜた。銭員外が笑って言った。
「お前、これからは箭に中った虎──“中箭虎”と名を変えろ」
 銭員外は後ろ手に腕を組み、悠々と山道を降っていった。
「門のない関などない。うかつ者の目に入っていないだけだ」
 若将軍は草原に兵隊を整列させていた。頂の山塞には火が放たれ、夜空を茜色に染めていた。生き残った手下たちが縛り上げられて、山道を追い下ろされていく。
 将軍が、下山していく隊列の先頭から二人を招いた。
 二人は思った。
 やはり、難しいことは分からない。
 しかし、花項虎と中箭虎は、若将軍について山道を下って行った。
 山塞を焼く火と星が、二人の道をほんのりと照らし出していた。








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